冬至・・・光りが生まれ、そして新しい年へ

いつもより暖かな年の瀬。でも今朝のピンと張り詰めたような冬至の冷たい朝は気持ちが良かった。

今年はどんな年だった?自分にとって。取り立てて大きな出来事があったわけではない。でもその分、ずっとずっと自分自身を見つめた年だったかもしれない。

立春の頃、一筋でもいいから光りを求めて彷徨いだして、その一筋の光りを頼りに見つめ、探っていったのは自分自身だったかもしれない。とにかく絵を描いた。いっぱいいっぱい描いた。湧いてくるもの、湧いてくる光景。とにかく描いた。光りがほしくて描いた。

何を描きたい?何を伝えたい?考えてもどんどん判らなくなっていった。だけど描くことは喜びだった。

それ以外の時は鬱々としていることが多かったから、まるで自分は何をしたいかも、何が楽しいのかも忘れてしまったのかと、喜びのない日々を送っているのではないかと、自らを責めてみたりまでして。でも考えないで描いていると、その時は喜びだった。

何を・・・とか、どうして・・・とか、は。・・・いいんだと思えてきた。一筋の光りかもしれない。

よくもまぁ、今年はどっぷりと深淵にはまっていたことか。自分の魂を見つめ、見つめ、一年描いて、描いて、現実のことがまだうまくは回り出してはいないのだけれど、このまだ半分鬱々とした現状の中で、私は絵を描く人なんだ、と選択している自分を見つけることが出来た。

これはちょっと宣伝になっちゃうのだけど、この文を書いていて思い出した。そういえば昨年の夏からはじめた新しいシリーズ『Abyss』。最初に描いたのは自分の『Abyss』だった。銀河の宇宙のずっと向こうを見ているような、海洋の深淵から見上げているような。この『Abyss』に導かれ、自分の深淵を見せられていたのかもしれない。

今日、冬至。光りの誕生の日にはちょっと重めの私のつぶやきになってしまったが・・・、そして間もなくクリスマス。大好きなキリストの誕生。Christに満たされているこの宇宙で、私は漂い、彷徨い、そして満たされてここにいる。私の中にも光りが・・・もう一度誕生し始めている。

この絵は『誕生』という新作です。

Christボトルの色になってる(^-^)vと、ひとり満足しています。

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